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2012年6月23日 (土)

滋賀海軍航空隊

Shigakaigunnkoukuutai_s57

滋賀県大津市に あった「滋賀海軍航空隊」、以前にもこのBlogで少し紹介したことがありますが、

4月11日に 地域の文化講座

「滋賀海軍航空隊跡地を検証する」

に参加させて頂き、「滋賀海軍航空隊」について、基地の構成や当時の様子などいろいろと詳しく知る事が出来ました。

また、滋賀海軍航空隊 第16期生の方々のお話を聞く機会もあり大変貴重なお話も聞かせていただきました。

   

←文化講座の資料を基に、航空写真(S57)に当時の施設を表記しました。*赤枠の部分が当時 飛行場だった所です。

  

 

この滋賀県大津市唐崎には、大東亜戦争当時 二つの海軍航空隊がありました。

一つは、

「大津海軍航空隊」

P5110076 今の 陸上自衛隊大津駐屯地にあった航空隊で3年間の基礎訓練を受けた、飛行技術訓練生を約1年間、操縦・偵察術の教程を授け実戦部隊に送る、水上機搭乗員を養成する部隊でした。

←琵琶湖から見た大津駐屯地の旧海軍飛行機格納庫

  

この基地には「赤とんぼ」93式中間練習機の水上型が最盛期には20機ほど配備されていた他、零戦の水上機型である「二式水戦」、大戦末期に活躍した紫電改の元になった「強風」も配備されていました。 

   

  

  

そしてもう一つの航空隊が、

「滋賀海軍航空隊」 です。

P5030006

JR湖西線 唐崎駅 前には「滋賀海軍航空隊跡」の碑があります。このJR唐崎駅の辺り一帯に「滋賀海軍航空隊」の兵舎などの施設が点在していました。

 

航空隊の飛行場は、唐崎駅から近くにある唐崎小学校から南にかけて伸びていました。

  

  

「滋賀海軍航空隊」は、ミッドウエイ海戦の敗北により、新たなパイロットの養成が急務となり、養成期間の短縮と養成所の増設の方針によって作られました。  

 

   

 昭和18年秋、下坂本・坂本本町・滋賀里 の地主より、国家非常時として買収が行なわれ、

 

 「もし 調印が遅れたら、敗戦の責任は地主にあるannoy」    By松永海軍大佐

167,000坪を30分で買収完了。(一坪3円80銭)

*当時のことを知る方の話では、地主が何か意見を言おうとしたら、こわ~い憲兵に取り囲まれ何も言えなかったそうです。(2009年8月に参加したレキハク講座時にてお会いした方よりお話を聞きました)

 

《滋賀海軍航空隊の歴史》 (文化講座資料より) 

昭和19年

 6月 1日   飛行場完成

        三重海軍航空隊、滋賀分遣隊発足、 予科練生 13期 1000人入隊

 8月 1日 予科練生 13期生 1700人入隊

 8月15日 正式に「滋賀海軍航空隊」となる

 9月 3日 滋賀空に第一次水中特攻隊出来る。(100名)

 9月15日 滋賀空14期生 2300人入隊

 9月30日 滋賀空14期生 400人入隊

 10月1日 滋賀空15期生 3000人入隊

 10月3日 滋賀空15期生 300人入隊

 10月 1日 滋賀空15期 3000人入隊

 10月 3日 滋賀空15期 200人入隊

昭和20年 (1945年)

P5270018  1月5日 水道完成 水不足解消

  ⇒右写真 : 京阪坂本線「穴太(あのう)駅前に残る水道施設跡

 3月26日 滋賀空 第二次水中特攻隊出来る 200人

 4月1日 滋賀空 16期生 1000人入隊

 4月24日 滋賀空 水中特攻隊出来る 326人

 5月11日 米軍艦載機 大津市で初空爆。宣伝ビラ撒かれる。

 6月15日 特殊機特攻隊「伊吹部隊」出来る *本土上陸する敵前に飛行機で毒ガスを撒く部隊

        比叡山 根本中堂付近で、カタパルト建設始まる。

 7月6日 化兵で毒ガス実験を一区練兵場で行なう。*毒ガスは撒かず防毒マスクのみ

 7月21日 防毒面作業(ガスマスクの検査?)

 7月26日 大津東洋レイヨン模擬原爆投下される。*参考:「原爆模擬爆弾 パンプキン

 8月15日 敗戦 

 

   

滋賀海軍航空隊は、日米の形勢が逆転した「ミッドウエイ海戦敗北」から始まり、戦況の悪化と共に本来の「パイロット養成」から、自爆特攻兵器(人間魚雷「回天」、モーターボート特攻「震洋」、潜水服特攻「伏龍」 等)への人員拠出、最後には本土決戦に向けての陸上戦(毒ガス使用訓練等)の準備と、前線より遥か後方に有りながら戦争の行方を色濃く反映させた場所でした。

今では、その痕跡もほとんど見る事もほとんどありませんが、自分達が暮らしている町に有った、肌で感じられるような「戦争」を調べて子供達に伝えて行ければと思います。   

   

  

*参考にさせていただいた「唐崎文化講座」の資料には、誤認されていると思われる記述もいくつかありました。

例えば比叡山の「桜花」発射基地の記述など、「高度1万メートルのB29に向かって発射される特攻機だった。」など、山の上から発射されるロケット戦闘機 と言う事から連想される、終戦後に流れていた都市伝説的な話をそのまま取り上げられていた様でした。

これは当時を知る方々からの聞き取り調査を基に作成された為と思われます。しかし当時そこに居た人ででないと分からない記述もあり、大変貴重な資料です。滋賀空以外の記述もいろいろとありましたので、他の資料と照合して書いていきたいと思います。

  

  

滋賀空飛行場現在の様子

P5030009

←唐崎小学校の校庭横から真直ぐに伸びる約600mの道路が当時の滑走路をしのばせる唯一の名残です。

左側の「ひかり病院」の東側に練習機(グライダー)の格納庫が在ったそうです。

  

 

 

 

 



2009年8月17日 (月)

原爆模擬爆弾「パンプキン」

P8010013t 原爆模擬爆弾

「パンプキン爆弾」

の1/1模型です。

  

正式名 : 「1万ポンド軽筒爆弾」

重量 : 4.8t

TNT火薬 : 2.5t

接触信管 3基

長崎に投下された原爆「ファットマン」と、形状・重量をほぼ同じに作られた原爆投下訓練用模擬爆弾です。

*火薬の代わりにコンクリートを詰めた物も有り。

  

     

   

P8010016

米軍は、この模擬縛弾を使い 爆撃機からの投下時の(弾道特性など)テストと、原爆投下の訓練を行いました。

投下訓練と言っても、投下地は敵国の日本であり、「パンプキン爆弾」の実戦使用です。

敵地で訓練をするなんて、当時の日本空軍(陸・海軍航空隊)もなめられたものです。

逆に米軍は、日本空軍はほぼ壊滅し高性能爆撃機B29に至っては脅威では無いと考えていたのでしょうか。

 

7月20日から8月14日までに、49発の「パンプキン爆弾」が投下されました。

  

その中の一発が 昭和20年7月26日 午前7時47分 大津市の東洋レーヨンに落とされました。

この爆撃で16人の方が亡くなり多くの方が負傷しました(負傷者200人以上)

  

 この原子爆弾の模擬弾が自分身近なところにも落とされたと言う事を知り、原子爆弾が自分の町に落とされなかった事がほんとうに紙一重だった様に思えます。

   

  

Rekihaku この原爆模擬爆弾「パンプキン爆弾」の模型は、平成21年7月25日~8月30日まで、大津市歴史博物館 「戦争と市民」展で見ることが出来ます。

  

8月1日に、れきはく講座「戦時下の大津 3つの秘話」 に参加させて頂き、その時に一緒に見学して来ました。

  

 

「戦争と市民」展では、当時の市民生活や銃後の家族の思いを伝える品々が展示されていました。

P8010011 そのなかで、 私的 な発見は、当時の大津市唐崎一帯の地図です。これで大津海軍航空隊の飛行場の場所がはっきりと分かり、以前にもこのBlog「大津海軍航空隊跡」で紹介した、唐崎小学校から西にかけてと確認することが出来ました。

他にも村田式歩兵銃(十三年式?)や九九式軽機関銃の簡易訓練用型など、レアな物もありました。(それらは撮影禁止だったので写真は残念ながらありません)

         →の写真は当時の出征兵士の衣装。(これは撮影可) 

 

   

 

P8010012 こういう当時の本物の軍服などが展示してあると、マニアの悲しい性で、細部にわたり研究してしまいます。

例えば靴は、中田商店のアンクルブーツとほぼ同じでした。(日・米両軍装で使える!smile

  

  

 

 

 

 

 

 

 ちなみに!

Cgpjpap112大津 東洋レーヨンに「パンプキン爆弾」落しやがったB29は、

44-27301号機 ビクターナンバー 85

「ストレートフラッシュ」

機長 : クロード イーザリー   です。  

Str8flush   ← ストレートフラッシュのノーズアート

  

  

  

  

   

   

このクロード イーザリー機長は、7月20日の投下訓練で(最初のパンプキン爆弾による爆撃)、第一目標の福島県郡山市が天候不良の為 投下できなかった「パンプキン爆弾」を使い、皇居を狙って落とし、昭和天皇陛下を殺害しようともくろんだ(と言われている)ふてーやろーです。 (*結果は外れて呉服橋に着弾。)

ただこの クロード イーザリーは、原爆投下作戦に参加した軍人の中で唯一原爆投下を疑問視した軍人です。

 

  

1219929699 1219929757

《参考資料》

左 : 広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」

右 : 長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」

  

  

2009年2月 1日 (日)

乃木神社

H210125_004  この前の日曜日に、京都伏見にある

「乃木神社」

        に参拝してきました。

 

   

*「乃木神社」とは、乃木希典大人之命を祀る神社です。京都をはじめ全国各地に 乃木さん を尊崇する人々によって、大正初めに建立された神社です。(乃木神社パンフレットより)

  

  

  

  

H210125_014

  

 ←乃木神社 神門

 

 

 

  

    

   

 

 

  H210125_011_2

  

←日露戦争 旅順攻略の時に、第三軍司令部として使われた民家

本物を移設したものです。

@私が一番見たかったところです。

  

  

第三軍司令部は、旅順のロシア軍の長距離砲が届かない、戦場から遠く離れた、旅順よりも大連に近い所に置かれていました。

前線で緊急を要した判断を軍司令官に求めても、前線より司令部が遠く離れている為、命令が到着するのは機会を逃してからになることが多く、後に満州軍令部より児玉源太郎大将がやってくるまで改められることはありませんでした。

  

・・・・っといった事がここであったんだぁ~と思いながら見学させていただきました。  

    

    

       

H210125_003_2

  

 旅順に行くことはなかなか難しいですが(特に今の経済状況では)京都伏見で、105年前に乃木大将が指示を出していたのと同じ空間に立つことができるなんて! 結構感動してました。

   

   ⇒ 記念館の入り口には、「第三軍司令部」の文字が。

  

  

   「第三軍司令部」の札の掛かった入り口をくぐった時、姿勢を正し敬礼をしたい衝動に駆られました。(私だけではないですよね!)

       

   

   

   

 H210125_006   

乃木大将が少年時代を過ごした長府に有った住居。

  

  

  

  

  

 

   

    

    

     

今回 乃木神社参拝 に行くきっかけになったのは、

   「斜陽に立つ」  (古川薫)

 という本に出会ったからです。

毎日新聞の日曜版に連載されていたのを途中から読み出し、本が出版されるなり手に入れすっかりはまってしまいました。

この書を読んで、それまでの「乃木愚将論」的見方を改めました。

そして、今までの考えの非礼を詫びる為、乃木さんに会いに乃木神社に行こうとおもいました。(笑)happy01

 

*この「斜陽に立つ」を読む前には、 司馬遼太郎氏の「殉死」「坂の上の雲」を読んむことをお勧めします。「斜陽に立つ」の古川薫氏」は、司馬遼太郎氏の「殉死」「坂の上の雲」に対して反論的に書かれています。このへんを検証するためにも先にこの二冊を読んだ方が面白いとおもいます。

・・・とそんなこと言いながら実は私、「殉死」「坂の上の雲」をまだ読んでません。明日サバゲが無ければBook offに行きたいと思います。(って古本かよ)

   

  

  

ちなみに、それまで私の「日露戦争 旅順」の薀蓄の元となっていた資料は、柘植久義の「旅順」(PHP文庫)でした。

柘植久義氏とは、元傭兵だったりフランス外人部隊だったりアメリカのグリンベレーだったりというミリタリー的には現場バリバリの経歴の方です。

そんな現場視点(?)から柘植久義氏は乃木希典率いる第三軍の拙劣な戦い方や、旅順攻略に参加したじっちゃんの話等(日露戦争後の一般的な声)を書かれてました。それを見て純朴な私は「突撃一本やりの戦下手大将」と乃木さんのことを思っていました。*詳しくは本を読んでね。

  

  

  

【参考資料】  

28sennchihou  ←二八センチ榴弾砲

この二八センチ砲は、旅順要塞の堡塁の防壁を貫通し土をえぐることが出来たが、一五二ミリ砲以下だと防壁を完全に破壊できなかった。

  

2008年8月14日 (木)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 7」

坂本ケーブル「もたて山駅」より  桜花発射基地の施設があった「もたて山キャンプ場」(紀貫之墓方面)に向かう途中、山の斜面の放置された赤錆びた大きな鉄板発見!

これはもしかすると発射基地の施設の残骸?これの正体を確認する為に斜面を登っていくと、

P7200012_2 べトンでできた貯水層(?)でしょうか、戦争中に作られたと言ってもおかしくない様な物が有りました。

こんな山中にわざわざ作られた貯水槽、本土決戦に備え作られた施設の一部かそれともキャンプ場用に作られたものなのか、確認することはできませんでした。

斜面に放置されていた鉄板はこれのフタだったんでしょう。

   

   

   

P7200020

もう少し進んで行くと、またべトンで出来た物が!

先ほどと同じ貯水層のようなものでしょうか。

さっきの貯水槽(?)といいこのべトンの施設といい、それっぽい戦跡(?)が現れ、徐々に期待が吹くらんできます。

たしか、小笠原のトウチカ跡もこんな感じの朽ち加減だったような・・・。

   

   

   

P7200024 この先(今の貯水層?の上側)は、少し開けた場所になっており、展望台と物置小屋、使われていないブランコがありました。

ここが「もたて山キャンプ場」だったのでしょう。

今は、キャンプ場を示す物も何も無く、ましてや旧軍の施設を匂わすものは、まったく見当たりませんでした。

   

   

   

P7200032

キャンプ場跡より進むとすぐに「紀貫之墓」にたどり着きました、もう基地跡的な物は何も見当たりません。

ここが もたて山の尾根の先端、琵琶湖に向け突き出したところになります。もし木々が無ければ琵琶湖を一望できたでしょう。

もう一度、キャンプ場跡に戻り回りを探索しました。

しかし先ほどの貯水槽(の様なもの)がもう一基有ったのと、プレハブの基礎のようなものを見つけたのみ、はっきりと戦跡を示すような物は見つけることはできませんでした。

P7200041 P7200027

   

「この地下に何か地下要塞的な物があったりして」とか思ったりもし、もう少しこの辺りを探索してみたかったのですが、

   

   

P7200015

もう探検隊員達が限界のようです。

面白くも無い山の中あっちこっち歩かされて、腹が減ってきたのか

「スガキヤの肉入りラーメン食わせろ!」

とかうるさくなってきました。noodle

残念ながら桜花発射基地跡捜索はここで終了、次のミッション「カキ氷を食べに行く」に移ることとなりました。

   

   

 

P7200064

悲願の「かき氷」ゲット!

これで、腹ペコ 探検隊員は、少しおとなしくなりました。

*かき氷はケーブルカーを使わず山に登った方がおいしいですね。

今回の探検で見つけた物は、今一つ「ロケット戦闘機発射基地跡」というお題に対しては説得力の無いものでしたが、
63年前、この地にあった特攻隊を想う時の、少しの手助けにはなりました。
gawk

2008年8月 4日 (月)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 6」

 前回の発射基地探検では、

       「比叡山の中腹に発射カタパルトがあった!」

 という情報だけで そんじゃ行って見よう!という思いつき的発想で、坂本より徒歩で登りつつ基地痕跡を探しましたが、今回は「もたて山キャンプ場」という場所も特定されているので、ケーブルカー出発です。

この比叡山と同じ様な桜花発射基地は、房総半島・三浦半島・伊豆半島・紀伊半島に置かれました。その中で房総半島、千葉県 安房郡三芳村下滝田には今でも桜花発射カタパルト跡が残っています。

03s ←三芳村に残るカタパルトの基礎部。

(こちらの方は、「特殊兵器用兵同人誌ファンシーソルジャー」様のHP「桜花43乙型発射基地」で詳しく説明されています。写真もファンシーソルジャー様よりお借りしました。)

   

今から向かう「もたて山」にもこのようなカタパルト跡が残っているのでしょうか!子供達より自分が一番わくわくしています。happy01

   

   

   

    

   

P7200005

   

  

・ ・ ・ と、いってる間にケーブルカーはもたて山駅に到着しました。

   

(ちなみに、坂本ケーブルの途中の駅に停車してもらうには、出発前に駅員さんに言っておかないといけません。運転手さんは山頂なので!夏休みに入りケーブルカーは満員でしたが途中の「もたて山駅」で降りたのは私達家族探検隊だけでした。

   

   

   

   

   

P7200009 駅をおりてすぐのところに地図がありました。しかし目的地の「もたて山キャンプ場」は載っていません。coldsweats02

   

右に行くと少し登ってすぐ「坂本ケーブル 延暦寺駅」、左へ行くと「紀貫之墓」。延暦寺方面には次のミッション「カキ氷を食べる」で行かないと行けないので(娘達はこれが目的!)紀貫之墓方面へ進んで行きました。

   

 

  

P7200010_2 ハイキングには最高の山道、「こんなところに軍事施設あるのかな」と不安になりつつ歩いていると娘が ふと 聞いてきました。

   

娘 :         「紀貫之ってどんな人?」

 

・・・うおお・・・それだけは聞かんとってくれ~crying

父 : 「 ・・・・・・ なっ  なんか 昔のえらい人coldsweats02

                        ~家に帰ったら調べて説明します。~

とりあえずその場を取り繕っていると・・・

P7200011 山の斜面に鉄板発見!

ありがちな不法投棄っぽい品物ですけど、こんな車も入れない山中に鉄板捨てるてのも不自然です。この上に何か海軍七二五空 桜花発射基地の痕跡があるのではと、斜面を登って行きました。

   

  

  

  

つづく

  

   

   

《参考資料》

Turayuki_2紀貫之

「和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」

2008年7月30日 (水)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 5」

Ohka_2

比叡山に作られたロケット戦闘機(特攻機)の発射基地。

この基地についての新たな資料を見つけたのでまた探検に行ってきました。

昨年の夏休みの探検「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 」の続編です。

前回の探検の後も「桜花」関係の資料は調べていました。(といっても本一冊と後はネットでcoldsweats01)そしてある有力な情報を見つけました。

それは新しくなった「比叡山、坂本ケーブル」のHPの「80年のものがたり」の中で桜花特攻基地の話が紹介されていました。

【比叡山 坂本ケーブル、「80年のものがたり」より一部抜粋】

発射台も完成、走行テストも完了し、あとは実戦投入を待つばかりの状態だった8月15日に日本は降伏。発射台は米軍の接収前に破壊され、跡地はしばらく、キャンプ場として使われました。このページのトップにある もたて山キャンプ場の写真がそれです。

なぬ!ということはこの「もたて山キャンプ場」に行けば何か基地の痕跡があるかもしれない!

前回の探検で、坂本ケーブル延暦寺駅の前には、“ケーブルカーで持ち上げた桜花を移動する為のトロッコ(?)のレールやターンテーブルの跡が埋まっている〟ということは分かりましたが、しかし何処に長さ100mにもなる、桜花43型発射用カタパルトを設置して有ったのかは、分かりませんでした。延暦寺駅の周りはそんな広い場所も無かったんで。

  

【比叡山に配備された桜花施設と部隊の概要】

比叡山に配備させる予定だった桜花43型乙は、本土決戦用の地上基地からカタパルトで発射される、「橘花」と同じエンジン「ネ20」を搭載するジェット特攻機でした。(ロケット戦闘機ではなく)

この桜花43型乙を発射するために開発されたカタパルトは、「噴進射出機10型」といい2.6tの飛行機を(桜花43型乙は2.3t)8秒間で発射することが出来る、全長97mにもなるものでした。

Ouka_type43_3  昭和20年6月末神奈川県武山、桜花43型用練習機を使った発射実験が行われ、発射実験は成功しました。

       ( 桜花43型用練習機 ⇒ )

この実験の成功受け昭和20年7月1日、桜花43型の実戦部隊 第七二五航空隊が編成され、7月20日にはB29等の空襲が比較的少ない滋賀航空隊へ移動して来ました。

   

  

ということで、家族に探検計画を発表し探検隊員を募集したところ娘二人が参加したいと言ってきました。(昨年お兄ちゃんが食べてたかき氷食べたいってcoldsweats01

 

「比叡山ロケット戦闘機秘密基地再び探検計画」

1、坂本ケーブルで もたて山駅まで登り、もたて山キャンプ場方面に向かい現地で基地跡を探す。

2、もたて山キャンプ場方面から、徒歩で山を登り(少しだけ)延暦寺のお土産屋さんに移動し「かき氷」を食べる。

3、延暦寺を見て帰る。

 

そして、第七二五航空隊がこの滋賀にやって来た日と同じ7月20日、子供達が夏休みに入り坂本ケーブルが、小学生以下無料 になるのを待って

   「比叡山ロケット戦闘機秘密基地再び探検」 

                           に行ってきました。

    

つづく

2007年9月 7日 (金)

大津海軍航空隊跡(飛行場跡)

84mvq_lu_s自分たちに住んでいる町(大津市)には、戦前 陸海軍の施設が多数有り、海軍のパイロット養成機関から特攻部隊までいろいろな部隊があった。といふ事を知り、この夏は身近にその戦跡が無いかと調べました。

《←「軍都・大津」
   中島 峰夫  より》

大津歴史博物館や図書館、山に登ってみたり(番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検」参考)もしましたが、あまり成果はありませんでした。(子供達に「これは戦争の時の○○やで〜」っていうような・・・)


Karasakihikoujyou1 しかし昨日見つけました。
所用で支所(市役所の)に行った時、待ち時間に壁に貼ってあった地域の航空写真を見ていて気づきました。

→右の写真、飛行場の跡が残っているの解かりますでしょうかsign01

写真中央よりやや右のグランドがある所が、唐崎小学校 そこから斜め下にかけて飛行場がのびていた跡がわかります。(今は幼稚園・保育園・運動公園等と続いています)


この辺りだとは思っていましたが、(競輪場の駐車場辺りかなと思ってました)上の地図と比べても間違いないと思います。

*第二次大戦中この地より約一万人もの若者が各地の実戦基地へ特攻隊要員として配属され、多くの方々が帰らぬ人となったそうです。
Uajepndx

JR唐崎駅前
「滋賀海軍航空隊跡」の碑

2007年8月 7日 (火)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 4」

Lttdbu75 比叡山鉄道ケーブル延暦寺駅が見えてきました。
目標を見失っていた探検隊ですが、かき氷で一息いれ、駅の方までやって来ました。(平坦な道の歩きやすさに感動しながら!)
秘密基地探検作戦はここから第二段階の「ケーブルカーのおっちゃんに聞く」です。

Rdgfpv7x ケーブル延暦寺駅より琵琶湖を望む。(北東方向)
海抜654mって事は、琵琶湖が海抜87mで坂本ケーブル(スタート地点)はだいぶ坂の上なので、差し引き500mくらい登ってきたのでしょうか。

Kgfqssas 早速、駅員さんがおられたので聞いて見ました。


smile「すいませ〜ん  戦争中ここにロケット戦闘機の・・・・」

Lrs9smm7_sここに、
日本帝國海軍 第725航空隊
の施設が有ったそうです。

ケーブルカーで運び上げた「桜花43型乙」を格納壕へ運ぶ為の移動用レールがここから、延暦寺の駐車場の方へ伸びていたそうです。


Rvj7wmfa この場所(土の所)に、移動レールのターンテーブルが有り、その基礎が50�ほど下に今も埋まっているそうです。

Jsmpkdws_s(駅より南東を見る)
眼下に陸上自衛隊大津駐屯地が見えます(写真中央少し左)戦前その辺りは、大津海軍航空隊・滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校 等が有り、JR唐崎駅付近は飛行場が有ったそうです。
紙飛行機でもここからなら飛行場まで飛んで行きそうです。


この後、駅の周りを少し捜索してみましたが基地跡らしきものは発見できませんでした。(少し山登ると比叡山ドライブウエイで)
Vd4fzkjc 帰りは、探検隊の意見が一致しケーブルカーで山を降りました。
*夏休み期間中は小学生以下はケーブル代無料でした!

今回、坂本ケーブルの駅長さん駅員さん運転手さんが大変親切に基地の話を教えてくださって、本当にありがとうございました。
お礼に宣伝しときます。


皆さん是非
   比叡山坂本ケーブル
       乗りに来てください。面白いよ電車の中階段みたいで!

本探検では、基地の物証を確認することが出来なかったので、情報もう少し調べて(カタパルトの位置とか)もう一度探検に来ます。その時はもちろん往復坂本ケーブルで!
(延暦寺もゆっくり見てみたいし)

2007年8月 5日 (日)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 3」

2qkdo6n4 1時間くらい林道を登り、初めて見つけた標識。

基地に繋がるの手がかりでは、と近づいて見たその時sign01

足元で何かが動いた!


3jwvvrv9 でけぇ〜
ヘビ
思わず親父は
「うぁ〜coldsweats02
って声を出してしまいました。

しかしヘビさんのたうち回って様子が変、よく見ると こらまたでっかいがまがえるにかぶりついているではありませんか。


このかえるを飲み込めるのかっていうのがとても気になりましたが、「お食事中 お邪魔しました」と言って先へ進みました。
I3tmpatr 先ほどの標識は「花摘堂跡」となっていました。
古い石垣を発見。その横には腐葉土に埋もれた石段。
どう見ても60年前(海軍施設)なんてもんじゃなく数百年前のものでしょう。

Wbznkxe7 へばりかけた探検隊隊員(息子)を励まし先へと進みます。
後の事を考えお茶はがぶ飲み禁止、一回一口。
硫黄島と比べたらこんなの楽勝や!shock
きっと

森から抜け少し開けた所に出ました。
すると先の方〜まで延々と続く登り坂。
「げぇー」と思っていると、後ろからも「え〜」泣きそうな声が聞こえてきました。
「先を見るな目の前だけを見て歩け!」(とうちゃんはそうする)
インパール作戦と比べたらこんなの楽勝やshock
_p8lac5a 出発してから1時間40分ようやくお寺(延暦寺)らしき雰囲気が見えてきました。
この石垣なんていつごろ作られた物なんでしょう、信長とかの時代かな!

Fxnsycqd とうとうゴールが見えてきました。足元もコンクリートに変わりました。
足が棒のようになるとはこのことでしょうか、自分の足の制御が難しくなってきました。下手に道の端を歩くと谷へ落っこちそう、長時間息切れしているせいか、器官が痛いです。
しかしさすが小学校6年生、最短距離の一直線で歩くことがやっとの親父に対して、ちょこまかあっち行ったりこっち行ったり、この時点で無駄に体力を使えるのがすごい。

何とか延暦寺までたどり着くことができました。頂上(?)についたその場所でへばり込み、3分休憩。(観光客のお姉さんとか歩いてきて、汗だく親子は恥ずかしかった。)

1nddi0bw その後、お土産屋さんのののぼりに吸い寄せられ、食った「かき氷」は最高でした。
2時間近く山を登り、食った「かき氷」。
最高に値打ちがありました。

・・・ってsign01目的が変わってしまいましたが、本来の目的「ロケット戦闘機秘密基地探検」は、第一段階が苦労にわりに成果が無かったので、作戦の第二段階へ移ります。

つづく

2007年8月 2日 (木)

番外編「比叡山ロケット戦闘機秘密基地探検 2」

Lqymjmwz 比叡山鉄道 ケーブル坂本駅
ここから探検の出発です。

その前にケーブルカーの駅を少し覗いて!(ケーブルカーってこんなんだったんだぁ〜って!)

Wgesfrll 歴史を感じるケーブルカー路線の跨道橋をくぐり林道へと進んでいきました。


14_opfuz 10分も歩くと少しずつ後ろに見える景色もよくなってきます。
(もう少しで琵琶湖見える)

Feivfj0i  
(→林道から見たケーブカーの路線)

sun天気も良く楽しい山登りに父と息子の会話も弾みました。

smile「秘密基地見つかったらええなぁー」等

Ynr8jt8a しばらく舗装された道を登り、お寺(名前忘れた)を過ぎてから林道らしくなってきました。
(まだこれならBW`s〈故障中〉でも大丈夫)

Hpnx53we 道は徐々に険しくなってきました。(写真で見るよりずっと急坂です)

道は所々コンクリートの破片があり以前は整えられた道だったことが想像できました。

Mu_v4pqj 登り始めてから40分、この頃には親子の会話も無く、息子は親父に付いて来た事を後悔してると言ってました。shock

Olmnpux4 会話の無くなった・・・
ってか喋る余裕すら無くなってきた探検隊の前に立て札が現れました。

つづく